2011.12.30 追 悼 写真撮影の仕事を始めて25年が経つ。 撮影を通して色々な人と出会って来たが、年を増すごとに別れも多くなってくる。 過去において、撮影させて頂いた方々で、亡くなられた人は 山口瞳氏(作家) ・ 池田満寿夫氏(芸術家) ・ 淀川長治氏(映画評論家) 久世光彦氏(演出家) ・ 宮迫千鶴氏(画家) そして今年は、3人のとても印象深い方が亡くなられた。 追悼の意を込めて、写真を見直しながら、その時に思った事を回想したいと思う。 |
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児玉 清 氏 (俳優、作家) TVで見ている通り、とても紳士な人で一つ一つの所作 が美しい方だった。 芸能界きっての読書家で、蔵書は1万冊以上を持って いるとの事。 その中から、本を何冊か持ってきて下さった。 自分は、撮影の時に持って頂いた、ネルソン・デミルの 原書を含め、何の本かさっぱり解らなかった事を覚えて いる。 先にも書いたが、一つ一つの動きが美しく、とても魅か れてしまい、少し多めにシャッターを押してしまった。 |
楽しい話を聞かせて頂きながら、予定の時間を過ぎても、 『まだ大丈夫、次の予定まで時間があるから』と、何度も 言って下さった事に甘えて、撮影のシチュエーションも予定 より多く変えて撮影をさせて頂いた。 |
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アタックチャンスのジェスチャーを、やって頂けな いかという、無茶ブリにも、(実際は本物を見て みたいからという、好奇心が理由だったと思う) 嫌な顔をせず、TVとは違った動きを考えて、 撮影中にいきなり自分を驚かす様に入れるという とてもおちゃめなところもある、素敵な人だった。 なによりも児玉さんの持つ優しい時間の中に、 御一緒させて頂いたように思う。 |
自分を含め、周りにさりげなく気を使う事を自然にされている、 こんな大人(紳士)になりたいと、いい年をして思ってしまった事を覚えている。 謹んでご冥福をお祈りいたします |
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立川談志師匠 (落語家、立川流家元) 撮影させて頂いたのは、2007年の春だった。 場所は、一門会が行われた、吉祥寺にある前進座だ。 その前に、体調を崩されており、周りも少しピリピリと した緊張感が漂っていた。 今日の調子によっては、高座には上がらないかも、、 と言う話も出ていた。 今、思えば翌年に発病する喉頭癌の、影響もあった のであろうか、、、 |
談志師匠は、そんな周りの心配をよそに高座に上がった 瞬間から、全開だった。 水を得た魚の様に、身体全体を使って、噺し始めた。 多少、喉の調子が悪いのかと思うが、それを補う以上の 気を発し、噺がちゃんと、お客に伝わるのだ。 正直、引き込まれてしまった。 本当にこの人は、落語が好きなのだ! |
談志師匠は、高座終わりに必ず、お客様に向かって 深々とお辞儀をされる。 今回、それを真横から撮りたかった。 見事に気の入った、いや気を流しながら、余韻を楽しん でいるお辞儀だった様に思う。 頭をこすり付けてお辞儀をしていた師匠の顔が何とも 言えない笑みを蓄えていたからだ。 ある意味で、多くの人の手が、そして思いが入った仏像 の様にも見える。 |
思わず、“感謝の塊だ!!” とつぶやいてしまった。 なかなか、真横から見る事も出来ないので、自分は幸せ者とすら感じた。 |
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その後、控室で待って高座後の写真を撮らせて頂いた。 |
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亡くなられた後、暫くしてからふとこんな事を考えた。 師匠は生前に、何度か死ぬことを考えた事のある人なのであろうと、、、 芸に本当に厳しい方だから、自分の思い通りにいかなくなった時、死という物が 頭の中をよぎってもおかしくは無い。 しかし自ら死を選ばなかったのは、この人は人間が生きるという事の矛盾も含めて、 それでも人が好きで、好きで、 そして愛されたひとだからなのだろう。 |
合 掌 |
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森田芳光氏 (映画監督、脚本家) |
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映画「失楽園」では、観客動員数200万人 を超える大ヒットをし、日本アカデミー賞も とっている方なので、ご存じの方も多いと 思う。 自分としては、「家族ゲーム」「それから」 「キッチン」そして「間宮兄弟」等、大ヒット ではないが年月が経って見ても、じわじわ と響いてくる隠れた名作がとても好きだ。 |
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それにしても、こんなに早く逝かれるとは、、、 先の談志師匠ではないが、森田監督は人間の矛盾を映画化する事においては天才的だ。 ちょっと違う角度から見て、肯定してくれる様な作品を多く創ってきた方だと思う。 こういう作品を創れる監督が、いなくなるのはとても残念なことだ。 心よりご冥福をお祈り申し上げます |
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